浮橋地区
石崎側は浮橋地区で日章学園高校の北側を流れる娯楽寺川と亀田地区から流れる亀田川と合流する地点のため、大水が出ることが多かった。そのため橋が流され修復に時間がかかった。また佐土原城があった時代は、敵が攻め込んできた時、すぐに橋を壊して敵の攻撃を防ぎ止めるようにしていたともいわれる。そのため、すぐに壊して、すぐに修復できるように工夫していたのであろう。所が、橋の名前は有喜橋となっている。(昭和37年の地図で有喜橋となっている)
成枝地区
この辺りの土地は肥えていて作物が良く出来たので、作物が成ると言うことから、成枝という地名になった
平小牧地区
元は、地名の小字で平と小牧の地区があり、それが合わせて平小牧となった
尾原地区
城ケ峰台地古墳と、尾原の稲荷山古墳を結ぶ地域に分布していた田んぼで農耕生活を営み、その台地からしっぽのように突き出た場所から、尾の原が区名の由来と思われている
東小牧地区
近くに、平小牧地区、小牧台地区があり、その東にあるので
小牧台地区
昭和48年、下田島、下那珂の丘陵地に 34.5ヘクタールの団地を造成し、昭和51年に下水道処理場が完成したので分譲開始された。小牧台の名称は、古くから小牧という小字名があり、また隣接した平小牧という地区もあることから、丘陵地を造成したのだから小牧台、と名付けられたと思われる
久峰地区
光陽台地区
昭和56年に造成完了した。台地で回りに高い山は無く、日照時間も長く日光がさんさんとあまねくさして、光陽台という地名はぴったり