北田池の由来

鹿屋市の北田と言う、今は飲み屋街、
昔は唯一のデパートなどがある街の中心だったところに、
市民プールというのがあったそうです
わき水で夏でも冷たかったとか
そこの跡地は、今は公園のようになっています

そこに、北田プールの前身?
北田池の由来を書いた石碑がありました



しかし、汚れていて良く読めません
元の画像を拡大して解析すると

北田池由来記
北田池は、今を去る 400年前、鹿屋城の天然の池沼
として、約30アールの広さにこんこんと湧き出る清水をたたえ、
城兵の飲料水となっていた

近世以降は、かんがい用水、上水道用水、防火用水などとして広く活用され、
また腕白盛りの子供達の水遊びの楽園となり、あるいは大人達の
船遊びに興するなど、四季の風物詩を奏でながら
鹿屋人の生活の歴史とともに幾多の変遷を経て
今は菖蒲園として、一部は駐車場、公民館敷地となっている

この間、今次大戦後の相続く台風災害により
埋没の危機にさらされた時、浜田氏、前田氏と地元有志の
呼びかけにより復旧整備の議が整い、戦後復興期の厳しい環境の
なかで、北田公園建設期成同盟会が中心となり
各方面の協力をえて遊園と25メートル8コースのプールが建設され
フジヤマのトビウオと言われた古橋広之進氏を迎えてプール開きが
行われた
今当時の面影は残っていないがここに由来を刻み
先人の方に報いたい



今でもコンコンとわき水が出ています
全て下水に流してしまっているようですが